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徳川家康(18)

清州に滞在する東軍諸将を奮起させるため、家康は村越茂助を使者として向かわせます。福島正則ら諸将は、村越茂助の言葉を聴き、一気に西軍の岐阜城を陥落させました。岐阜城陥落後、家康は石田三成に気づかれないように西上し、決戦の地関ケ原に布陣するのでした。

主な登場人物

あらすじ

江戸の家康のもとに伏見落城と鳥居元忠の討ち死にの報せが届き、東軍に急ぎ西上すべき時が訪れました。しかし、家康は、そのことに触れません。

一方、清州に滞在する東軍の武将たちは、家康の西上を待ち望んでいました。家康のもとに清州から西上の催促が頻繁に届くようになり、彼は村越茂助を清州に使者として送ることに。

清州に到着した村越茂助は、東軍諸将にこんなところで何をぐずぐずしているのかと、家康の言葉を伝えます。これに奮起した諸将は、家康の下知が降る前にすすんで西上することを決断しました。

福島正則ら東軍諸将は、織田秀信がたてこもる岐阜城を落とし、関ケ原へ向かいます。これを知った石田三成は狼狽するも、家康が西上していないことから決戦はまだ遠いと予測していました。

ところが、家康は、西軍に気づかれないように兵を西に進めていました。家康の軍勢を目にした石田三成は、自分の見通しの甘さを痛感させられます。

関ケ原に東西両軍が集結したその夜。島津豊久が石田三成に夜襲を提案しました。しかし、西軍には、今動かせる兵力がなかったことから、石田三成はこの提案を拒否します。

そして、慶長5年(1600年)9月15日の早朝。東軍の松平忠吉と井伊直政の抜け駆けから、東西両軍の決戦が始まったのでした。

読後の感想

第18巻では、家康の天下統一にとって最も重要な一戦となった関ケ原の戦いが始まります。

関ケ原の戦いを決定づけたのは、松尾山に陣取った小早川秀秋が西軍を裏切り、大谷吉継の陣に突撃したことでした。これにより、西軍は総崩れとなり、石田三成も小西行長も退却を余儀なくされます。

しかし、家康と石田三成の運命を決めたのは、小早川秀秋の裏切りではありませんでした。信長、秀吉と受け継がれてきた泰平の世の実現。それを守ろうとする家康の心が、利益で人々を味方にしようとした石田三成に勝っていたのです。

石田三成もまた、決戦の直前となり、そのことに気づきます。上杉にも毛利にも、多くの恩賞で報いようとした彼でしたが、最後まで味方であったのは、大谷吉継と佐和山の領民だけでした。

逃亡中、石田三成は、佐和山の領民が自分の命を守ろうとすることに驚きます。彼らが石田三成を守ろうとしたのは、領主の石田三成が正しい裁きをしたことに感動していたからでした。石田三成にとっては、領民を助けようとする気持ちから裁きを下したのではなく、ただ言い分の正しさをもって裁きを下しただけでした。しかし、領民は、その正しい裁きに恩を感じ、石田三成を必死にかばおうとします。この時、石田三成は、家康にあって自分にないものに気づいたことでしょう。

関ケ原の戦いが終わり、戦乱のない時代が訪れたかに見えましたが、家康は、豊臣家に莫大な財産があることを懸念していました。淀君が、この莫大な財産の使い道を誤ると、再び戦乱の世に逆戻りします。家康は、豊臣家の莫大な財産をどうするのか、第19巻に続きます。

徳川家康(18)-山岡荘八
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