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明治天皇(5)

安政7年(1860年)3月3日。ついに水戸藩士たちの怒りが爆発します。大老井伊直弼は、桜田門の外で、水戸浪士たちの襲撃を受け、この世を去りました。大老襲撃の衝撃は京都にも伝わり、所司代の酒井忠義は、不逞浪士の取り締まりを強化します。さらに幕府は公武合体を推し進めるため、皇女和宮の降嫁を朝廷に求めました。そのような混乱の中、祐宮が親王宣下を受けるのでした。

主な登場人物

あらすじ

幕府は、将軍継嗣問題で水戸派を処分した後、さらに徳川斉昭の永蟄居を命じ、孝明天皇から水戸藩に下された勅書の返納を迫りました。

これまでの幕府のやり方に不満を持つ水戸藩士たちは、大老の井伊直弼を討つ計画を練り始めます。

一方、井伊直弼は、日米通商条約を調印したことから、使節をアメリカに派遣することに決めました。日米の外交が対等なものであることの筋目を付けるためです。

水戸を脱藩した関鉄之介らは、水面下で井伊直弼暗殺の段取りを進めます。

安政7年(1860年)3月3日の雪の降る日。ついに水戸浪士たちは、桜田門の外で井伊直弼を襲撃しました。

藩主を討ち取られた彦根藩が、水戸藩に報復するのではないかとの噂は京都にも広まっていました。井伊直弼暗殺は、朝権回復の道筋を示すものとなり、やがて、倒幕のための義兵が募られることを憂慮した京都所司代の酒井忠義は、浪士たちを捕縛するために密偵を放って警戒し始めます。

さらに幕府は、かねて井伊直弼が考えていた公武合体を推し進めるため、孝明天皇の妹の和宮(静寛院宮)の降嫁を朝廷に打診しました。

一方、朝廷では、岩倉具視が、幕府の求めに応じて和宮を将軍家茂に嫁がせる代わりに期日を決めて攘夷決行を誓約させる案を出し、朝権回復を画策するのでした。

読後の感想

大老井伊直弼の水戸藩に対する処分が厳しいことに腹を立てた藩士たちが、ついに起ちあがります。

彼らの狙いは、井伊直弼を討ち取った後、大坂で義兵を募り、一気に倒幕へと突き進んで朝権を回復することにありました。しかし、彼らの計画は、桜田門外の変で終わります。

幕府は、井伊直弼存命中から、公武合体を進めていました。孝明天皇の意思を無視する形で進めてきた日米修好通商条約の調印と将軍継嗣でしたが、次第に国内で尊皇の声が高まるにつれて、朝廷との関係を密にする必要性が出てきます。

そして、桜田門外の変が起こると、幕威を回復する狙いもあり、和宮降嫁が急速に進められていきました。これに目を付けたのが、岩倉具視でした。彼は、和宮を将軍家茂に嫁がせる代わりに期日を決めて攘夷を決行することを幕府に約束させます。岩倉は、幕府が攘夷を決行できないことはわかっており、それを理由に政権を幕府から朝廷に取り戻そうと考えていたのです。

桜田門外の変が起こった年は、朝廷にとっても、祐宮(明治天皇)に親王宣下があった重要な年でした。しかし、5巻では、明治天皇はほとんど登場しません。

5巻では、本作の最初のころに登場した田中河内之介と大田垣蓮月も再び登場します。田中河内之介は、祐宮改め睦仁親王となった明治天皇の将来のため、朝権回復に奔走します。しかし、それが、田中河内之介の悲劇につながるのですが、その話は6巻へ続きます。

明治天皇(5)-山岡荘八
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