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伊達政宗(6)

大坂城に牢人とキリシタンたちが続々と入城していきます。徳川と豊臣との戦いはもはや避けようがない状況。それでも、支倉常長をエスパニヤに派遣した伊達政宗は、その帰りを待ち続けます。東西開戦の裏で、政宗は一体何をしようとしているのか。

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主な登場人物

あらすじ

慶長18年(1613年)。徳川と豊臣との関係はさらに悪化していきます。豊臣秀吉の恩を受けた徳川家康は、どうにかして豊臣家の存続を図ろうとします。しかし、豊臣家では、その家康の気持ちを解す者がいません。

大坂城に続々と入場する牢人とキリシタン。徳川と豊臣との間で戦が始まれば、豊臣家の滅亡は明らかです。それを十分にわかっている伊達政宗は、エスパニヤに派遣した支倉常長が大艦隊を率いて戻ってくるのを待ち続けます。

しかし、慶長19年の冬に徳川と豊臣との間で戦が始まりました。

政宗の頭の中では、一度目の戦は和睦に持ち込み、二度目の戦で勝敗を決するという計画ができあがっています。家康もまた政宗と同じことを考えていました。

一度目の戦を和睦に持ち込むため、家康は秘密兵器の大砲「国崩し」を大坂城に打ち込む決断をするのでした。

読後の感想

遂に大坂冬の陣が勃発します。

大坂冬の陣は、徳川幕府が豊臣家を滅ぼすために数々の謀略を用いて開戦に持ち込んだと言われることが多いですが、本作では、その説を採っていません。

家康は、豊臣家を存続させたいと思っていますし、豊臣秀頼とその母の淀君も徳川との戦いを望んでいたわけではありません。

それなのに東西で戦いが始まったのはなぜなのか?

答えを一言で述べるなら、豊臣秀吉の莫大な遺産となります。秀吉は、大坂城と金銀財宝を子の秀頼に遺して世を去りました。関ヶ原以来の牢人たちは、あの天下無双の大坂城に入って戦をしてみたいと思うでしょう。金銀財宝を我が物にしたいと思う人々もたくさんいるでしょう。

一人一人の欲は小さくても、欲を持った人々が一箇所に集結すれば、世の中に多大な影響を与えるものです。伊達政宗も徳川家康も、そのことをよくわかっていました。しかし、徳川と交渉する豊臣家の家臣たちが人々の欲の怖さを全くわかっていませんでした。

政宗は、東西開戦が起こる前に支倉常長をエスパニヤに派遣しています。もしも、支倉常長がエスパニヤの艦隊を率いて帰国していたら大坂冬の陣はどうなっていたでしょうか。

そして、政宗はどのような意図で支倉常長をエスパニヤに派遣したのでしょうか。大きな功績を立てて徳川幕藩体制の中で100万石の領地を得ることが目的だったのか、はたまた天下をひっくり返すつもりだったのか。

大坂の陣の裏での政宗の立ち回りからも目が離せません。

伊達政宗(6)-山岡荘八
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