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明治天皇(4)

勅許を得ずに通商条約に調印した幕府は、それを宿次奉書で朝廷に報告しました。これに対して、公卿や水戸派の者たちは、朝廷を軽視した行為だと、大老井伊直弼を批判します。アメリカだけでなく、イギリスやロシアからも通商を求められた井伊直弼は、次々に諸国と条約を調印しますが、国内では、彼を退けるために尊皇攘夷の志士たちが水面下で動きだすのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

勅許を得ないまま、日米修好通商条約に調印したことについて、井伊直弼は、朝廷に宿次奉書を発送してその旨を報告しました。そして、条約調印に関わった老中の堀田正睦を罷免します。

条約調印と将軍継嗣について、朝廷を軽視した井伊直弼。それに対して水戸派の者たちが反発し始めます。

しかし、井伊は、無断登城を理由に尾張の徳川慶勝と越前の松平慶永(春嶽)に隠居を命じ、水戸の徳川斉昭には謹慎、一橋慶喜(徳川慶喜)を登城停止として、水戸派を一掃しました。

宿次奉書が到着した朝廷では、井伊直弼のやり方に危機感を抱き、孝明天皇も退位を考えだしていました。

次期将軍に紀州の徳川慶福(家茂)が決まってすぐ、13代将軍家定が亡くなります。そんな時、イギリスとロシアの軍艦が通商を求めて来航し、幕府はこれら2ヶ国だけでなくオランダやフランスとも通商条約を結ぶことになりました。

京都では、このような幕府の対応に尊皇攘夷の志士たちが水面下で動き出します。梅田源次郎(雲浜)は、井伊直弼を退けるため、徳川斉昭ら水戸派を復帰させ、幕政改革を計るよう勅命を降す計画を企みます。その密勅は、水戸藩の留守居役に正式に降下され、梅田源次郎は、井伊直弼を退陣に追い込めると思っていました。

しかし、井伊直弼も、京都に長野主膳(義言)を派遣し、朝廷に近づこうとする志士たちを次々に捕縛し始めるのでした。

読後の感想

幕府の一存で日米修好通商条約が調印されたことで、国内が騒がしくなってきました。

武力で押し切られ、開国したのでは諸外国から侮られると危機感を抱く孝明天皇。一方、清国がイギリスなど諸外国に食い荒らされており、いずれは日本にも開国を迫ってくるに違いないと危惧する幕府。

もう一度、衆議を尽くして開国すべきかどうかを決定している暇はないと考えた老中堀田正睦は、勅許を得ないまま開国に踏み切りました。

これが、朝廷や勤皇を重んじる水戸藩の怒りを買います。

しかし、大老の井伊直弼もしたたかなもので、条約調印の責任を堀田正睦に被せて罷免すると、水戸派の者たちも、無断登城などを理由に排斥しました。

この時の井伊直弼の心中はどんなだったでしょうか。諸外国から通商を求められ退けられない状況でしたし、国内からは、開国も将軍継嗣も勅許を得るべきだと攻撃され、苦悩したでしょう。

幸か不幸か、その頃、将軍家定は病気にかかり余命いくばくもない状況でした。井伊直弼は、将軍の意思によって次期将軍を一橋慶喜ではなく、紀州の徳川慶福に決定したと主張します。しかし、将軍が病気だったことから、それは井伊直弼の独断で決定されたのだと、周囲には思われていました。

この辺りの事情は、非常に複雑で理解しにくいです。

京都では、梅田雲浜ら、尊皇攘夷を叫ぶ志士たちが活動し始めます。彼らは、井伊直弼のやり方に不満を持っており、もう一度、徳川斉昭ら水戸派を政界に復帰させ、国難に当たるべきだと考え、朝廷に働きかけていました。しかし、井伊直弼も、長野主膳を京都に派遣し、朝廷の動きを監視させ、尊皇攘夷の志士たちを次々に捕らえていきます。

これが世にいう安政の大獄です。

この時、明治天皇はまだ7歳でした。4巻でも、明治天皇が登場する場面は少なく、朝廷と幕府の視点から、通商条約締結後の政治の流れが中心に描かれています。

 
 
明治天皇(4)-山岡荘八
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