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伊達政宗(7)

大坂冬の陣が東西の和睦で終結したのも束の間、すぐに大坂夏の陣が始まります。徳川に味方し、敵陣に果敢に攻め込む伊達政宗。そして、大坂城が陥落し豊臣家が滅亡します。長き戦乱の世が終わり泰平の世が到来したかに思えましたが、伊達家に新たな難題が降りかかるのでした。

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主な登場人物

あらすじ

大坂冬の陣は、伊達政宗と徳川家康の目論み通り短期間で和睦が成立しました。

しかし、この和睦は一時的なもの。再び、徳川と豊臣の間で大坂夏の陣が勃発。伊達勢は大坂方の後藤又兵衛勢を退け、真田幸村勢にも果敢に攻め込みます。

翌日には、松平忠直が一心不乱に大坂方の毛利、真田勢に突撃し徳川の勝利が決定的なものとなりました。家康は、豊臣秀頼とその母淀君の命を助けるために尽力します。しかし、その甲斐なく、炎に包まれた大坂城とともに豊臣家は滅亡しました。

大坂夏の陣が終わり、国内から戦乱がなくなりました。しかし、豊臣家が持っていた60万国の領地だけでは徳川に味方した大名たちへの恩賞を賄いきれず、新たな問題が持ち上がります。

徳川の天下を脅かす危険のある大名たちの領地を奪い、恩賞に充てようとする幕府。取り潰しの候補には伊達政宗と松平忠輝も含まれていました。

読後の感想

ついに大坂夏の陣が始まります。

エスパニヤに渡航した支倉常長は、とうとう豊臣家滅亡までに帰国することはできませんでした。しかし、例え支倉常長が大坂夏の陣前に帰国していても、伊達政宗の思い描いたようにはならなかったでしょう。

エスパニヤと手を組み、国内の政治に大きな影響力を持とうとした政宗の野望は、支倉常長の渡航前に潰えていたのです。

この頃の政宗には、自分は天下の副将軍だという思い上りがあったのかもしれません。その思い上りが情報収集を怠る原因だったのでしょう。

もしも、支倉常長の渡航前にエスパニヤの衰退を知っていれば、その後の松平忠輝の運命は変わっていたかもしれません。

大坂夏の陣後に徳川家康がこの世を去ります。徳川の天下を見届けて安心して亡くなったのか、それとも豊臣家を助けられなかったことが心残りとなっていたのか。

本作に登場する家康は、豊臣秀吉への義理から、何とかして豊臣家を守ろうとしました。実際の家康も、そのような思いであったなら、大坂夏の陣の後亡くなるまでの期間、きっと苦悩したはずです。

伊達政宗(7)-山岡荘八
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