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徳川家康(23)

あふれかえった牢人たちが大坂城に入ることを阻止するため、家康は、豊臣秀頼の移封を片桐且元に命じます。しかし、その意図を理解できなかった片桐且元は、方広寺の大仏開眼供養で大坂城の金が底をつくことを理由に豊臣秀頼にその旨を伝えなかったことから事態が悪化するのでした。

主な登場人物

あらすじ

義理の甥である豊臣秀頼が六十余万石を有し、また、実の弟の義直が金の鯱を載せた名古屋城を手にしたことで、松平忠輝は、今の自分の境遇に不満を感じ始めます。

自分は将軍秀忠の弟なのだから、もっと優遇されても良いはずだと考えた松平忠輝は、父家康に対して大坂城を賜りたいと言い出しました。しかし、この発言に家康は怒り、すぐに忠輝を退出させました。

大久保長安の一件以来、キリシタンや牢人たちが大坂城を狙い始め、築きかけてきた泰平の世から再び戦乱の世に逆戻りしかねない状況になっていました。そこで、家康は大久保忠隣を大坂に遣わすとともに大坂から片桐且元を呼び寄せ、戦にならないようにするため、豊臣秀頼が大坂城から出るよう説得させることにしました。

しかし、片桐且元は、方広寺の大仏を再建し終えれば大坂城の金は底をつくので戦にはならないと述べて大坂に戻ります。

ところが、方広寺の大仏再建が終わり、いよいよ大仏開眼供養が目の前に迫ったところで、江戸から大坂にその延期が言い渡されます。

片桐且元が留守にしている間、大坂では、多くの牢人を入城させ、江戸との戦に備え始めていました。それを知らない片桐且元は、京都に戻り、大仏開眼供養延期について板倉勝重に相談しようとしました。しかし、板倉勝重は、多くの牢人が大坂城に入っていることに対して、片桐且元の裏切りにあったと思い、彼の話を聴こうとしません。

ただならぬ事態となったことを知った片桐且元は、再び東下し家康に会おうとしましたが、家康は面会を拒むのでした。

読後の感想

第23巻では、大坂の陣の直前の出来事が描かれています。

大坂の陣は、方広寺の梵鐘に「国家安康」と「君臣豊楽」の銘があり、これが、家康を呪い、豊臣の繁栄を願う意味だと幕府が難癖をつけて起こったとされていますが、本作では、それは大きな事態としては取り上げられていません。

関ケ原の戦いから十数年が経過し、その戦で敗れた牢人たちが再び戦乱を望み始めていました。自分たちの境遇を変えるためには、戦しかないと考える牢人たちは、江戸と大坂の関係が悪化することを期待していました。

そんな時、方広寺の大仏が再建されます。ちょうど豊臣秀吉の十七回忌に当たる年だったため、盛大に豊国祭が行われるのに乗じて牢人たちがひと騒ぎすると、江戸と大坂の関係が悪化します。そうならないよう、板倉勝重は京都の取り締まりを強化していました。

この動きに対して、大坂は、家康が豊臣家を滅ぼそうとしていると疑心暗鬼になります。そこで、大坂城に多くの牢人を入城させ始め、それが大坂の陣につながっていきます。

本作の家康は、どこまでも泰平の世を築くことに奔走します。豊臣秀頼に大坂城から別の地に移るよう命じたのも、難攻不落の大坂城が豊臣の手にある限り、戦を期待する牢人たちが後を絶たないと考えたからでした。また、大仏開眼供養の延期も、牢人たちが京都に集まって来るのを防ぐことが狙いでした。

その家康の意図を片桐且元は解すことができませんでした。また、他の豊臣の重臣たちが、家康に頻繁に会う片桐且元を江戸の内通者と思い込むようになったことも、大坂の陣の原因として描かれています。

物語は、いよいよ終盤に入っていきます。

徳川家康(23)-山岡荘八
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