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城塞(中)

東西手切れとなり徳川と戦うことになった大坂城。女性たちの感情が優先される城内で、悪戦苦闘する真田幸村や後藤又兵衛などの牢人たち。徳川家康の巧妙な策により、大坂方は何の成果も得ることができず、大坂冬の陣を終えることに。

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主な登場人物

あらすじ

「かならず大坂は自分を招く」

そう信じている牢人が紀州九度山にいました。

彼の名は真田幸村。関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、敗戦後は、父の昌幸とともに九度山に追放され、浅野家から監視される日々を送っていました。

真田幸村の予想した通り、大坂から大野治長の使者が九度山にやってきます。使者は、豊臣秀頼の御教書を携えており、そこには、「入城して自分をたすけよ」といったことが書かれていました。

真田幸村は、慶長19年(1614年)9月25日に家臣ともども九度山を一度に脱出することにしました。そして、真田主従は、山伏姿に変装して関所を通り、無事、大坂に入城しました。

真田幸村の他にも、宇喜多家に仕えていた明石全登(あかしたけのり)、黒田家の家老をつとめたことのある後藤又兵衛、土佐で山内家の監視下に置かれていた毛利勝永、関ヶ原の戦いで1発の銃弾も撃たずに敗者となった長宗我部盛親などが、大坂城に入城してきます。

大坂で総大将が決まる前に徳川家康が動き出しました。豊臣方の軍議では牢人たちの意見が軽視され、真田幸村の作戦も無視され続けます。

11月18日。家康は、2代将軍徳川秀忠とともに大坂城の南に位置する茶臼山に登り、陣を布きました。そして、26日に東西両軍が平野川でぶつかり合い、戦いが始まりました。

後藤又兵衛と真田幸村の活躍で、各戦線で勝利する大坂方。しかし、家康が大筒を投入したことで、大坂冬の陣は和議が結ばれるのでした。

読後の感想

いよいよ大坂冬の陣の始まりです。

大坂方は、徳川と比較して兵力が格段に少なかったため、関ヶ原の戦いの後、牢人した武将たちを集めて戦うことにしました。ただ、彼らは、期待されてはいたものの、重要事項の決定には参加できませんでした。

大坂城で決定権を握っていたのは、淀殿をはじめとした女性たち。豊臣の方針は、彼女たちの感情に左右されていたため、牢人たちが、どんなに優れた作戦を提案しても聞き入れられません。

そのことをよくわかっていた徳川家康は、力攻めせず、女性たちの気持ちが萎えるような作戦を立て、実行していきます。この辺りが、徳川家康の巧妙さですね。現場を知らない淀殿と彼女に従うだけの大野治長では、とても太刀打ちできる相手ではありません。

大坂が勝つには家康の首をとること。そう考えていた真田幸村は、何度もその機会を得ますが、大野治長に拒絶されます。読んでいて何とも歯がゆい気分になりますね。

城塞(中)-司馬遼太郎
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