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関ヶ原(中)

軍備を進めるため会津に戻った上杉景勝を討伐するために軍勢を東に進める徳川家康。それを西から攻めようとする石田三成。天下を二つに分けた決戦が近づく中、諸将は義の石田三成か、利の徳川家康か、どちらに味方すべきかの選択に迫られます。

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主な登場人物

あらすじ

石田三成の家老島左近は、大坂にいました。豊臣家と徳川家康の評判を探るためです。

豊臣家の評判は、晩年の秀吉が外征と建築道楽によって大名の経済を著しく疲弊させ、それにより物価が上がったことやキリシタンの弾圧を行ったことの理由からよくありませんでした。対する徳川家康は、ポルトガル人やキリシタンに受けが良く、堺の商人たちも豊臣家に見切りをつけて徳川に傾きつつありました。

一方、会津若松では上杉景勝が対徳川のために軍備をすすめます。それを知った家康は、戦の名目が立つので望むところです。

慶長5年(1600年)の夏。家康からの問罪使が会津若松に到着し、上杉景勝に上洛するように伝えます。しかし、家老の直江兼続はこれを拒否し、家康に対して、会津に攻め入るならば相手になるといった書状を返し宣戦布告しました。

家康は、石田三成をおびき出すためにゆっくりと会津若松に向けて進軍します。家康の予想通り、大谷吉継らを味方に引き入れた三成は、諸将の妻子たちを人質に取り西軍に味方させようとします。また、毛利輝元も大坂に到着し西軍の総大将となりました。

伏見城を攻め落とし、東へと向かう西軍。一方、江戸にいる家康は、三成が豊臣秀頼を要して挙兵したことを評定の場で諸将に伝えます。その時、福島正則がいち早く家康に味方することを宣言し、次々と武将たちが家康に味方することを誓うのでした。

読後の感想

奉行を退き佐和山に退隠した石田三成が、打倒徳川家康に動き始めます。

石田三成に味方するのは、義のために動く上杉景勝とその家老の直江兼続、親友の大谷吉継が主だったところです。

しかし、義は石田三成にあるとは言っても、三成とは石高が10倍以上も違う徳川家康に味方した方が利があります。義のために石田三成率いる西軍につくべきか、利のために徳川家康率いる東軍につくべきか。関ヶ原中巻では、二つに一つの選択を迫られた諸将の思惑と行動が興味深いですね。

また、主君の決断に対して、家の存続を優先に考える家臣たちの行動も見逃すことができません。特に毛利家では、安国寺恵瓊と吉川広家の対立が見ものです。

関ヶ原(中)-司馬遼太郎
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