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坂の上の雲(3)

子規の死後、日露関係は急速に悪化します。伊藤博文は日露協商で戦争を回避しようとするものの、開戦派は、日英同盟の締結を実現します。好古は、満州や旅順を視察。真之は海軍の参謀となり、東郷平八郎と対面するのでした。

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主な登場人物

あらすじ

明治33年(1900年)に外国勤務から帰国した真之は、翌年に海軍少佐にすすみます。そして、東京に移った真之は、根岸に子規を見舞いに行きました。

病気でやせ衰えた子規は、以前とは別人のよう。二人は、日本がロシアと戦争になるかもしれないとの話をし、真之は子規宅を出ました。これが、二人の最後の対面となります。

満州に居すわるロシアは、次第に北部朝鮮にまで手を伸ばし始めます。これ以上のロシアの南下は、日本の国防上、大きな不安となります。また、ロシアの極東での動きには、イギリスも関心を持ち始めていました。

日本国内では、日英同盟論が持ち上がり、林董がその交渉にあたりました。しかし、イギリスが日本と同盟を結ぶことは現実的に難しいと考えた伊藤博文は、個人でロシアに渡り交渉する道を選びます。ところが、伊藤の予想は、日本にとって良い方向に裏切られ、日英同盟の締結が現実のものとなりました。

好古が満州や旅順の視察を終えて帰国した明治36年10月になると、日露間の外交情勢は救いがたいほど悪化していました。そんな中、海軍では日露開戦を決意します。真之は常備艦隊の参謀となることが決まり、東郷平八郎と対面するのでした。

読後の感想

第3巻では、いよいよ日露が開戦します。

その前に本作の主人公の一人である正岡子規が亡くなります。これまで、子規の登場により、物語に文化的な描写が見られましたが、彼の死後は、戦争色が濃くなります。

極東の弱小国家日本が列強ロシアを相手に戦うことは、誰の目からも無謀に思われていました。だから、伊藤博文は、ロシアとの協商により開戦を回避しようと考えていました。しかし、ロシアにすれば、武力で自分の理想を実現できるのですから、わざわざ日本と協商する理由はありません。

伊藤博文とは逆に開戦により日本を守ろうとする政治家もいました。むしろ、当時の日本国内では、その考え方が優勢でした。開戦派は、日英同盟の実現に奔走し、そして、実現します。ロシアと開戦するのも無謀なら、イギリスと同盟を締結しようと考えることも非現実的でした。しかし、イギリスも、ロシアの南下政策を危険視していたことから、日英同盟は両国の望むところだったと言えそうです。

日本がロシアに勝つためには、資金調達も避けては通れない重要な課題でした。日本は、外債を発行して資金調達しなければなりませんでしたが、誰が見てもロシアが勝つと思っている中で、日本国債の引き受け手を探すのは困難です。

そこで、日本は、陸軍も海軍も初戦の勝利に全てを賭けて戦います。そして、陸軍は期待通り初戦に勝利し、日本の外債募集もうまくいきました。

この日本の先制攻撃は、太平洋戦争でも行われますが、それは日露戦争での成功体験によるところが大きかったのでしょう。

坂の上の雲(3)-司馬遼太郎
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