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城塞(下)

外濠と内濠を埋められて裸城となった大坂城にたてこもる豊臣秀頼と淀殿。後藤又兵衛や真田幸村の諸将が善戦するも、徳川数十万の大軍には歯が立たず次々と討死していきます。炎上する大坂城。天下を掌中に収めた徳川家康。シリーズ完結編。

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主な登場人物

あらすじ

小幡勘兵衛は、純然たる徳川の諜者になってしまうべきか迷っていました。その結論を出すのは、大坂の城下を見てからにしようと、3日ほど旅籠(はたご)を転々とし、街の様子をみて歩きます。

元和元年(1615年)3月2日に大坂城に戻った小幡勘兵衛は、大野治長と会います。大坂冬の陣の後、采配を握ることになった大野治長は、尊大となっており、勘兵衛は、豊臣の運命もこれまでと思うようになりました。

3月13日の軍議で、瀬田で徳川家康を襲撃する案が話し合われ、その役に小幡勘兵衛がつくことになります。勘兵衛は、この時に大坂から脱出するつもりでいましたが、彼が徳川の間諜であることが大坂方に知られてしまいました。

小幡勘兵衛を尋問したのは、大野治長の弟の大野治房でしたが、彼は勘兵衛の口のうまさに騙され、間諜と疑ったことを謝罪します。

3月28日の夜陰。小幡勘兵衛は大坂を脱出し、その後、幕府の奈良奉行の中坊左近(なかのぼうさこん)のもとに身を寄せました。

もはや豊臣をつぶすのに口実など必要ないと考えた徳川家康は、4月3日に駿府を出発して名古屋城に向かうことにしました。表向きは、第9子の義直の婚儀でしたが、誰もが事実上の大坂への出陣であることを知っていました。

対する豊臣秀頼も家康の度重なる無理難題に怒りをあらわにし、遂に決戦を誓います。

大坂夏の陣は、南海道紀州路で始まります。大坂方の大野治房は、塙団右衛門(ばんだんえもん/直之)らを従え出陣。徳川方は紀州の浅野長晟(あさのながあきら)が迎え撃ちました。

塙団右衛門の戦死が大坂城に伝わり、4月30日に軍議が開かれます。この時、真田幸村が秀頼の出陣を要請しましたが、実現することはありませんでした。

5月6日に後藤又兵衛が戦死。7日には真田幸村が家康を追い詰めるも、あと一歩のところで討ち損じ、大坂夏の陣は終焉に向かうのでした。

読後の感想

城塞の最終巻です。

外濠と内濠を埋められた大坂城は、もはや城郭の体をなしていませんでした。冬の陣の時のように籠城することができないため、大坂方は野戦を強いられます。

誰が見ても徳川方が有利な状況でも、真田幸村は、最後まであきらめません。彼の頭の中には、徳川家康を討ち取ることだけしかありませんでした。家康さえいなくなれば、豊臣の逆転があり得るからです。

真田幸村は、何度も家康を討ち取る好機を見つけ、作戦を立てますが、彼の意見は全く聞き入れられません。もしも、戦いの早い段階で、幸村の策をひとつでも採用していれば、大坂夏の陣の結果は違っていたかもしれません。

徳川から諜者として大坂に送り込まれた小幡勘兵衛は、事と次第では、大坂に味方しようと思っていましたが、結局、徳川の諜者として戦いを終えます。

天下を狙った小幡勘兵衛。最後は小さくまとまった彼の姿を想像すると、おかしくも思えますが、自分の意思ではどうにもならない社会の大きさに気づかされますね。

城塞(下)-司馬遼太郎
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