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世に棲む日日(2)

海外渡航に失敗した吉田松陰は松本村で松下村塾を開き、多くの塾生の指導を行います。しかし、安政の大獄で捕えられた松陰は二度と戻ることなく、彼の思想は高杉晋作と久坂玄瑞に受け継がれていきます。やがて長州藩は尊王攘夷を叫ぶ志士たちによって動かされていくのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

再び黒船が来航した時に密航を企てた吉田松陰と金子重之助。しかし、計画は失敗に終わり幕府に身柄を拘束された後、長州の野山獄へ移されました。

1年2ヶ月の獄舎での生活の後、松陰は松本村で松下村塾を開きます。塾には、久坂玄瑞(くさかげんずい)をはじめとして藩の様々な身分の者たちが通っていました。そして、久坂に影響を受けた18歳の高杉晋作も松下村塾に入塾するのでした。

松陰は、久坂や晋作に思想的に大きな影響を与えましたが、安政の大獄で江戸に身柄を送られ、やがて処刑されます。

松陰の遺志を引き継いだ久坂玄瑞と高杉晋作。特に晋作は、松陰の「物事の原理性に忠実である以上、その行動は狂たらざるをえない」という思想を受け継ぎ、狂気的な行動に走ります。

文久2年(1862年)の夏。晋作は、周布政之助(すふまさのすけ)のすすめにより上海へ渡航します。上海で西洋の富力と文明の豪勢さに圧倒された晋作。しかし、彼の思想は開国には揺らがず、今まで以上に激しい攘夷論を唱え始めるのでした。

読後の感想

安政の大獄で身柄を幕府に拘束された吉田松陰。彼は、学問には優れていたものの、世間のことを知らなすぎた感があります。奉行所の取り調べでは梅田雲浜との関係が詮議されました。松陰と雲浜の間には、大した交際履歴はなかったので、軽く受け答えをしていれば良かったのですが、松陰は聞かれもしないことまで、べらべらと話し出します。

奉行所の役人の表情が柔らかであったことが、松陰の口を軽くさせたのですが、彼は、あまりにも人を信じすぎていました。まるで塾生に講義をするかのように自らの思想を語る松陰を役人たちは危険人物と感じ、そして処刑しました。

もしも、松陰がもっと世間のことを知っていれば、安政の大獄で命を落とさなかったかもしれません。

松陰の死後、物語は高杉晋作を中心に描かれ始めます。

松陰は高杉晋作と久坂玄瑞に期待を持っていましたが、自分の後継者になるのは久坂玄瑞だと考えていました。しかし、松陰の「狂」という思想を最も色濃く受け継いだのは高杉晋作でした。

高杉晋作は、まだ20歳を過ぎたばかりの若者で、松陰と同じように危うい行動をします。しかし、晋作が危険な行動をしてもうまく切り抜けることができたのは、松陰にはなかった人の心を見通す力があったからなのかもしれません。

 
 
世に棲む日日(2)-司馬遼太郎
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