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峠(中)

長岡藩の家老となった河井継之助は、京都の情勢を知るために藩主牧野忠訓とともに大坂城に入ります。大政を奉還した徳川慶喜は、新政府に入ることができず、幕臣たちの怒りは頂点に。そして、鳥羽伏見の戦いが起こるのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

慶応元年(1865年)に外様吟味となった継之助は、翌慶応2年に郡奉行と町奉行を兼務し、長岡藩領での賭博を禁止しました。

その頃、京都では、幕府の長州征伐の失敗、将軍家茂の病死、徳川慶喜の将軍宣下、孝明天皇の崩御と大事件が度重なり、継之助は、町奉行や郡奉行の仕事を続ける気持ちが失せていきました。

江戸に出た継之助は、藩が金を蓄えておく必要性があると考え、藩所蔵の宝物をスイス人のファブルブランドを通してセリに出します。そして、オランダ人のスネルからガットリング砲を購入し、他に元込銃も入手して長岡に帰りました。

家老となった継之助は、経済を活性化することの重要性から、石高制を廃止して新たに俸給制を採用し、藩政を改革します。

一方、京都では、徳川慶喜が大政奉還する大事件が起こり、継之助は京都の事情を知るため、藩主の牧野忠訓とともに江戸から軍艦に乗って大坂城へ向かいました。そして、京都に行き、朝廷に建白書を上呈し、再び大坂城に戻ります。

大坂城では、徳川慶喜が新政府に入れなかったことに不満を持った幕臣たちの怒りが頂点に達していました。そして、薩長と一戦交えるため、幕府軍が京都に向けて進軍するのでした。

読後の感想

中巻では、幕府が瓦解し戊辰戦争が始まります。

東国諸藩は、京都の情勢に疎く、時代の流れに取り残されていました。長岡藩も同様で、多くの藩士は、幕府が倒れるとは考えられなかったでしょう。

長岡藩の家老となった河井継之助は、江戸や横浜で時代の流れの速さを体感しており、これからは、武士ではなく町人の世になると考えていました。つまり、これからは、経済が社会の中心となり、米ではなく貨幣こそが、経済を回す中心になると予感していたのです。

この感覚は、同時代人の中では先験的で、継之助の考えを理解できない人が大多数でした。一方で、継之助も、長岡藩の家老という立場があり、町人の世になるとわかっていながら、どうすれば長岡藩を存続させられるか苦悩する日々が続きます。町人の世となれば、武士は必要なくなり、長岡藩も消滅することになるでしょう。それをわかっていながらも、継之助は長岡藩存続の道を模索します。

鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗北した後、河井継之助ら長岡藩士は、陸路江戸に向かいます。江戸城に入った継之助が見たのは、ただ大声を上げるだけで、何もできない幕臣たちの姿でした。しかし、城中には、福沢諭吉がおり、継之助は彼と話す中で、ますます経済の重要性を悟ります。

戊辰戦争が始まり、長岡藩が採るべき道は、新政府に味方するか、会津藩とともに新政府と戦うかのどちらかでした。ところが、継之助は、どちらにも味方せず、長岡藩の独立を目指します。それが可能となるのは、継之助が、金貨を貯め込み西洋から新式の武器を購入していたからです。武器の中には、継之助の代名詞とも言えるガットリング砲もありました。

 
 
峠(中)-司馬遼太郎
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