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花神(中)

長州藩士となった大村益次郎。しかし、藩士となって以降、長州藩は過激な行動を繰り返し、やがて国内外に多くの敵を作り孤立します。藩から活躍の場を与えられていなかった大村益次郎でしたが、幕府の長州征伐が始まると、彼の軍事的才能が開花するのでした。

主な登場人物

あらすじ

万延元年(1860年)に桂小五郎に見いだされた村田蔵六(大村益次郎)は長州藩士となりました。

江戸で蘭学を教えていた蔵六とは対照的に長州藩の攘夷は過激になっていきます。藩内が攘夷一色に染まったかに見えましたが、西洋文明を知る必要があると考えた高杉晋作は上海に渡航します。また、伊藤俊輔(伊藤博文)と井上聞多(井上馨)らも洋行することが決まり、その資金を蔵六が工面しました。

長州藩の過激思想はさらに増し、下関を通る外国船を砲撃し、西洋諸国を敵に回します。さらに国内では、文久3年(1863年)8月18日に京都で薩摩藩を中心とした勢力のクーデターが起こり、長州藩は京都政界から追放されました。

この頃、蔵六はひとり江戸の長州藩邸に取り残されていましたが、自らが開く鳩居堂で最後の講義を終えた後、長州に帰国します。

その後も長州藩は国内外に多くの敵を作り、孤立していきます。元治元年(1864年)7月の蛤御門(はまぐりごもん)の変の後、行方知れずになった桂小五郎。ある時、彼の使者が蔵六の許を訪れます。そして、桂が生きていることが長州藩内に知れ渡りました。

長州藩士になってから、冷や飯を食わされていた蔵六でしたが、慶応元年(1865年)に桂の力により上士にとりたてられます。そして、名を大村益次郎に改め、やがて攻めてくる幕府軍と戦うための作戦を練るのでした。

読後の感想

蘭学を学んだ大村益次郎でしたが、不思議と彼は攘夷の思想を持っていました。西洋文明の偉大さを知る洋学者たちは攘夷など馬鹿げていると思っていましたが、蔵六はそう考えていませんでした。

この辺りが、大村益次郎の興味深いところです。普通なら西洋かぶれになりそうなのですが、彼の心の奥にある攘夷の思想は、どんなに蘭学を極めても変わることがなかったようです。

西洋の知識が詰まった頭脳と心の奥からの攘夷思想。この二つが同居する大村益次郎は、「戦略」と「戦術」の違いを理解し、これまでに例のなかった軍事作戦を展開します。そして、四方から長州藩に攻めてくる幕府軍に対して連戦連勝し、やがて兵士たちの信頼を得ていきました。

また、中巻でも、上巻で登場したシーボルトの娘のイネが登場します。無愛想な大村益次郎とイネとの交友関係も非常に興味深く描かれています。

花神(中)-司馬遼太郎
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