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江戸時代初期

江戸時代初期を描いた時代小説の一覧です。

池波正太郎の作品

あばれ狼:池波正太郎
手越の平八を主人公にした股旅もの3作品と真田家に仕えた樋口角兵衛や鈴木右近など、脇役として描かれることが多い人物を主人公にした4作品が収録されています。
真田太平記(1):池波正太郎
武田家滅亡後、真田家の進むべき方向を決断しなければならなくなった昌幸が、草の者がもたらす情報をもとに戦国乱世を生き抜きます。
真田太平記(2):池波正太郎
本能寺の変後、再び騒然とし始めた東信濃。真田昌幸はこの地に上田城の築城を計画し、真田家の生き残りを画策します。
真田太平記(3):池波正太郎
上田城に大軍を差し向けた徳川家康に対して知略をもって対抗する真田昌幸。豊臣秀吉の北条征伐など厳しい事態が真田家を待ち受けます。
真田太平記(4):池波正太郎
朝鮮出兵のため名護屋に赴いた真田父子を取り巻く環境が慌ただしくなります。、山中忍びの企みを暴くために甲賀に潜入したお江の運命は・・・。
真田太平記(5):池波正太郎
朝鮮出兵の失敗。伏見大地震。豊臣政権を脅かす事件が相次ぐ中、秀吉が世を去り、再び天下が騒がしくなりはじめます。
真田太平記(6):池波正太郎
上杉征伐に動き出した徳川家康に従う真田昌幸のもとに石田三成の使者が訪れます。昌幸は、信幸と幸村とともにどちらに味方するか決断に迫られるのでした。
真田太平記(7):池波正太郎
上田城で徳川秀忠軍を迎え撃つ真田昌幸と幸村。一方、関ヶ原では東西両軍が開戦します。
真田太平記(8):池波正太郎
関ヶ原の戦いで敗者となった真田昌幸と幸村は紀州九度山に流罪となります。しかし、来たるべき徳川と豊臣との一戦に向けて水面下で活動し続けます。
真田太平記(9):池波正太郎
徳川家康と豊臣秀頼の会見で、真田父子の再び徳川と一戦交えたいという望みが潰えたかに思われました。しかし、方広寺鐘銘事件で東西に緊張が走ります。
真田太平記(10):池波正太郎
片桐且元が大坂城を追われ、遂に東西開戦。真田丸で東軍を迎え撃つ幸村、家康の命で上洛する信之。真田兄弟の運命はいかに。
真田太平記(11):池波正太郎
大坂冬の陣の和睦が成ったものの豊臣家滅亡を目論む徳川家康は、真田信之に命じて幸村を味方につけるように命じます。
真田太平記(12):池波正太郎
大坂夏の陣が終わり、徳川の天下は盤石のものとなりました。しかし、諸国大名の取り潰しが相次ぎ、真田家にも試練が待ち受けます。シリーズ完結編

柴田錬三郎

猿飛佐助 柴錬立川文庫(1):柴田錬三郎
天正10年に武田家が滅亡した時に誕生した猿飛佐助が忍者として育ち、真田幸村に仕えて活躍します。
真田幸村 柴錬立川文庫(2):柴田錬三郎
九度山を下りて大阪城に入城した真田幸村が、豊臣家の存続のために様々な活躍を見せます。

司馬遼太郎の作品

城塞(上):司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした作品。徳川家康が、天下取りの総仕上げに豊臣から戦を仕掛けるように仕向ける過程が描かれています。
城塞(中):司馬遼太郎
徳川の大軍を相手に真田幸村や後藤又兵衛らの牢人を雇って戦う大坂城。しかし大坂冬の陣はあっけなく和議となることに。
城塞(下):司馬遼太郎
外濠と内濠を埋められ裸城となった大坂城。真田幸村が徳川家康に肉薄するも形勢は逆転できずに落城。シリーズ完結編。
風神の門(上):司馬遼太郎
大坂冬の陣間近の京都で三河者に襲われた霧隠才蔵。その真相を探るうちに才蔵は大きな仕事をすることになるのでした。
風神の門(下):司馬遼太郎
豊臣家を滅ぼすために西進する徳川家康の暗殺を企む霧隠才蔵と猿飛佐助。刻一刻と大坂落城の時が迫ります。

津本陽の作品

真田忍俠記(上):津本陽
天正13年。真田家が守る上田城に徳川の大軍が攻め寄せます。猿飛佐助と霧隠才蔵は忍法で徳川軍を翻弄するのでした。
真田忍俠記(下):津本陽
東西手切れとなり大坂に入城した真田幸村。猿飛佐助と霧隠才蔵の活躍で、幸村に家康と刺し違える絶好の機会が舞い降ります。

永井路子の作品

乱紋(上):永井路子
安土城で暮らす浅井三姉妹のおごうのもとに秀吉から佐治与九郎との縁談話が持ち込まれます。仲睦まじく暮らすおごうと与九郎。しかし、若い夫婦に戦国乱世の宿命が待ち受けるのでした。
乱紋(下):永井路子
2番目の夫豊臣秀勝と死別したおごう。姉のお茶々は彼女を徳川秀忠に嫁がせることを思いつきます。やがて姉妹は大坂の陣で敵味方になって戦うことに。

山岡荘八の作品

伊達政宗(1):山岡荘八
東北地方に遅れてやってきた戦国武将伊達政宗。父輝宗から英才教育を施された政宗は、初陣を見事勝利で飾ります。
伊達政宗(2):山岡荘八
黒川城を攻略した政宗は奥羽の覇者たる地位を手に入れます。しかし、豊臣秀吉の天下統一が目前に迫り、政宗は窮地に追い込まれるのでした。
伊達政宗(3):山岡荘八
豊臣秀吉の大明征服計画により朝鮮に出兵した政宗は大した損害を受けずに帰国。しかし、彼の前にさらなる難題が迫ります。
伊達政宗(4):山岡荘八
上杉景勝討伐に動き出す徳川家康。伊達政宗は徳川に味方して上杉攻略にあたり勝利を収めるのですが・・・。
伊達政宗(5):山岡荘八
徳川幕府が成立したものの、なお豊臣家は健在。東西開戦がいつ起こるかわからない状況の中、伊達政宗は婿の松平忠輝の若さに翻弄されます。
伊達政宗(6):山岡荘八
豊臣と徳川の関係が悪化しつつも、豊臣家の存続を願う徳川家康。しかし、東西の関係は修復できず大坂冬の陣が始まるのでした。
伊達政宗(7):山岡荘八
大坂夏の陣で豊臣家は滅亡。泰平の世が到来したものの伊達政宗に新たな難題が降りかかります。
伊達政宗(8):山岡荘八
徳川秀忠から家光へ将軍職が引き継がれ徳川幕府は盤石となります。政宗の野望はいったいどうなるのか。シリーズ完結編。
徳川家康(1):山岡荘八
岡崎の松平広忠のもとに今川寄りの水野家から於大が嫁ぎ、やがて竹千代を出産します。
徳川家康(2):山岡荘八
今川に人質に出されることになった竹千代は、その途中で織田に引き渡されることになります。織田の人質となった竹千代は、そこで、信長と出会うのでした。
徳川家康(3):山岡荘八
今川義元の計らいで、瀬名姫と結婚した元信でしたが、義元の上洛に際し大きな決断を迫られます。
徳川家康(4):山岡荘八
桶狭間で今川義元が織田信長に討ち取られた後、元康は岡崎に戻り三河の経営に力を入れます。
徳川家康(5):山岡荘八
姉川で浅井朝倉に勝利した家康でしたが、甲斐の武田信玄が三河に迫り苦しい戦いを強いられます。
徳川家康(6):山岡荘八
武田との戦に備え、家康は奥平に亀姫を嫁がせます。その頃、織田信長は、小谷城を囲み浅井長政を追い詰めていました。
徳川家康(7):山岡荘八
家康は、鉄砲3千挺を調達した織田勢とともに長篠城を取り囲んだ武田勝頼との決戦に挑みます。
徳川家康(8):山岡荘八
織田信長は、長年の働きをねぎらうため、安土に家康を招きます。しかし、本能寺の変が起こり、家康は窮地に立たされるのでした。
徳川家康(9):山岡荘八
羽柴秀吉が清須会議で織田家の後継者を三法師にすることに成功した頃、家康は東の旧武田領に進出します。
徳川家康(10):山岡荘八
柴田勝家と織田信孝を滅ぼした羽柴秀吉は、次に織田信雄に照準を定めます。家康は信雄の要請に応じともに秀吉と戦うのでした。
徳川家康(11):山岡荘八
小牧長久手の戦いに勝利した家康でしたが、秀吉の圧力は弱まらず、於義丸を大坂に養子に出すのでした。
徳川家康(12):山岡荘八
家康の上洛を促すため、秀吉は朝日姫だけでなく母の大政所も家康のもとに送ります。
徳川家康(13):山岡荘八
秀吉の上洛の命に従わない北条を家康が説得しますが、その甲斐なく小田原征伐が行われます。
徳川家康(14):山岡荘八
千利休の切腹、弟秀長と子の鶴松の死。相次ぐ不幸を振り払うように豊臣秀吉は大陸出兵の計画を進めす。
徳川家康(15):山岡荘八
淀君が男児を出生したことで、豊臣秀吉と秀次の関係が悪化していきます。その間もなお、大陸での戦いが続くのでした。
徳川家康(16):山岡荘八
秀吉の死後、家康は泰平の世を守ることを考えます。しかし、石田三成は、家康が豊臣の天下を狙っていると思い、対決の姿勢を見せるのでした。
徳川家康(17):山岡荘八
石田三成が失脚した後、天下を預かる決心をした家康は大坂城に入り、浅野長政や前田家を処分していきます。
徳川家康(18):山岡荘八
東軍の諸将が岐阜城を陥落させた後、家康は西上し、決戦の地関ケ原に布陣します。
徳川家康(19):山岡荘八
関ケ原の戦いに勝利した家康は、征夷大将軍となり江戸に幕府を開くのでした。
徳川家康(20):山岡荘八
伏見城に滞在する家康のもとに秀忠の嫡男が誕生した報せが届きます。そして、家康は将軍職を秀忠に譲る決意をするのでした。
徳川家康(21):山岡荘八
旧教と信教の対立、大坂の豊臣との関係。家康の泰平の世の実現には、まだ多くの難題が残されています。
徳川家康(22):山岡荘八
大久保長安が出向させた船の沈没、豊臣秀頼に謁見したイスパニアのビスカイノ将軍、諸国の牢人が、泰平の世を築こうとする家康を悩まします。
徳川家康(23):山岡荘八
あふれかえった牢人たちが大坂城に入るのを阻止するため、家康は方広寺の大仏開眼供養の延期を命じるのでした。
徳川家康(24):山岡荘八
大坂冬の陣が始まったものの、豊臣家の存続を願う家康は早期の講和のため大砲を大坂城に撃ちかけます。
徳川家康(25):山岡荘八
大坂城の落城が近づく中、家康は、亡き秀吉との約束通り、秀頼の命を助けるために動き出します。
徳川家康(26):山岡荘八
大坂夏の陣が終わるも、天下取りの野望を捨てきれない伊達政宗。家康は、政宗を抑えるため我が子忠輝を犠牲にする決心をするのでした。シリーズ完結編。