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真田太平記(7)

東西両軍に分かれて戦うことになった真田父子。昌幸と幸村は、徳川秀忠軍を上田城で迎え撃ちます。一方、関ヶ原では東西両軍が開戦。小早川秀秋の裏切りにより西軍の負けが明らかになり、遂に壺谷又五郎ら草の者が動き始めます。

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主な登場人物

あらすじ

真田昌幸と幸村は、信幸と袂を分かち、上田城で徳川秀忠軍を迎え撃つ準備を進めます。

関ヶ原に急ぎたい徳川秀忠は、本多忠政と信幸(信之)を使者にたてて上田城明け渡しの交渉を始めました。昌幸は徳川の要求を受け入れると返事をしましたが、城内では戦の準備が着々と進められていました。

昌幸の戦準備に気づいた徳川秀忠は、上田城に攻めかかります。

その頃、徳川家康は決戦の舞台関ヶ原に近づきつつありました。対する石田三成率いる西軍も関ヶ原に集結し始めます。

慶長5年(1600年)9月15日の朝。遂に東西両軍が開戦。石田、小西、宇喜多の西軍が東軍と戦うものの、島津、小早川は動く気配がありません。

それでも、西軍は踏ん張り続け東軍は攻めきれずにいました。ところが、松尾山に陣取っていた小早川秀秋の軍が山を降り始めたことで、戦いが一気に動き出しました。小早川の裏切りに備えていた大谷吉継は、自らが楯になり小早川軍を抑えにかかります。

しかし、形勢は東軍に有利となり、西軍の負けが決定的になり始めました。

そして、終始、静観していた島津義弘が、遂に動きます。真田家の草の者壺谷又五郎は、その機を逃すまいと形勢逆転を狙うのでした。

読後の感想

7巻では遂に関ヶ原の戦いが始まります。

西軍に味方した真田昌幸と幸村は、徳川秀忠軍が関ヶ原に向かうのを阻止します。この辺りの昌幸の作戦は、まさに智将真田といった感じです。

7巻は、多くの紙数を関ヶ原の戦いに費やしているので、昌幸、信幸、幸村は、あまり登場しません。しかし、真田家の活動は、草の者たちによって行われます。幸村の指示によって動く草の者たちの活躍が、7巻の最大の読みどころと言えるでしょう。

また、滝川一益の孫の三九郎(一績)の行動からも目が離せません。後々、真田家と深く関係する三九郎は、東軍の信幸、西軍の昌幸と幸村に面会を求めます。敵味方に分かれて父子、兄弟が戦う様をどう三九郎は見たのでしょうか。

真田太平記(7)-池波正太郎
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