真田太平記(9)
徳川家康と豊臣秀頼の会見を実現して泰平の世を築こうとする加藤清正と浅野幸長。再度、徳川と一戦交えることを望む九度山の真田父子。豊臣恩顧の大名が次々とこの世を去る中、東西開戦の原因となる方広寺の鐘銘事件が起こります。 |
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主な登場人物
あらすじ
徳川家康と豊臣秀頼の会見が実現するように加藤清正と浅野幸長は、計画を進めていきます。
家康と秀頼の会見が行われれば、九度山に流された真田昌幸と幸村の父子は、もう一度、徳川と一戦交えるという望みを失います。
慶長16年(1611年)の春。ついに家康と秀頼が会見。九度山を抜け出し、京都に秀頼の行列を見に行った幸村は、秀頼のたくましい姿を目の当たりにし、近いうちに東西が戦になると確信を持ちました。
なんとかして東西が戦端を開くことを阻止したい豊臣恩顧の大名たち。しかし、加藤清正と浅野幸長が相次いでこの世を去り、豊臣家を支える勢力は次第に力を失っていきます。
そして、慶長19年に方広寺の鐘銘事件が起こり、東西開戦の機運が一気に高まるのでした。
読後の感想
9巻では、徳川家康と豊臣秀頼の会見を中心に物語が進んでいきます。
両者の会見が無事に終われば天下に平穏が訪れると誰もが思っていましたが、真田父子はそうは思いませんでした。むしろ、たくましく成長した秀頼を家康が見れば、このまま生かしておくと徳川にとって危険だと思うに違いない、そう幸村は考えていました。
この幸村の想像は現実のものとなり、家康は豊臣家を滅ぼすために様々な悪知恵を働かせていきます。
関ヶ原の戦いから大坂の陣までの14年間を九度山に流された真田父子の立場から見ると単調になります。でも、真田太平記では、この14年という年月を無駄には描いてません。
家康上洛に備えて、水面下で活動する草の者たち。戦もなく平穏な日々の裏では、甲賀忍びと草の者との間で世間からはわからない戦いが繰り広げられます。
また、9巻では、樋口角兵衛の行動からも目が離せません。いったい何を考えているのか理解できない樋口角兵衛の行動が、やがて真田家に大きな影響を与えます。
真田太平記(9)-池波正太郎 |
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