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真田太平記(8)

関ヶ原の敗戦により、紀州九度山に流罪となった真田昌幸と幸村。いつの日か再び徳川と一戦交える日をじっと待つ間、少しずつ徳川政権が確立されていきます。それでも、徳川と豊臣との戦いに備えて、草の者たちは水面下で活動を続けるのでした。

主な登場人物

あらすじ

関ヶ原の戦いでの西軍の敗北により、真田昌幸と幸村の父子は、信之の岳父本多忠勝の尽力により、命を助けられ、紀州九度山に流されることになりました。

慶長5年(1600年)12月13日。真田父子は、少数の家臣たちと上田城を出発し九度山に向かいます。従者の中には、向井佐平次の子の佐助の姿もありました。

真田父子が、九度山で再起の時を待つ間に徳川家康が征夷大将軍となります。やがて、将軍職は秀忠へと受け継がれ、豊臣から徳川に政権が移ったことを誰もが認め始めました。

豊臣家に肩入れする加藤清正は、徳川との揉め事を避けるため、家康から命じられた名古屋城築城を粛々と進めます。また、家康上洛に合わせて、豊臣秀頼を家康に対面させるためにも尽力をします。

東西手切れとなり、再び徳川と一戦交えるための機会を待つ真田父子。その時のためにお江たち草の者たちは水面下での活動を続けます。

しかし、家康に真田父子の赦免を求めていた本多忠勝の死により、昌幸と幸村の九度山から出る望みは絶たれるのでした。

読後の感想

8巻では、関ヶ原の戦いで敗者となった真田昌幸と幸村の父子が紀州九度山に流罪となります。関ヶ原の戦いから約10年の歳月が描かれていますが、この間の真田父子の状況についてはあまり触れられていません。

しかし、8巻では、関ヶ原の戦いから大坂の陣まで時勢がどう動いていくのか、諸大名の思惑も混ざって興味深く物語が進んでいきます。

また、将来、真田家と深く関わる滝川三九郎(一績)が中村一忠に仕えていた時代にも触れられています。

真田家に仕えていた忍者集団の草の者たちも、水面下で活躍します。将来、真田父子が九度山を出て再び徳川と一戦交える日に向けて、お江や向井佐助が徳川の動きを探り続けます。敵対する甲賀忍びは、徳川の世になり、草の者のことを忘れていましたが、山中俊房と猫田与助だけは、依然として草の者への警戒を緩めません。

しかし、時代が平和になればなるほど、山中俊房も猫田与助も必要とされなくなります。乱世に重宝された山中俊房が、泰平の世の到来で政治の中枢から外れていく姿に悲しいものを感じます。

真田太平記(8)-池波正太郎
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