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西郷隆盛

西郷隆盛の若いときの人格形成から西南戦争で戦死するまでの生涯を描いた作品です。2度の遠島を経て江戸幕府を倒し築き上げた明治政府でしたが、そこには隆盛の理想とする姿はありませんでした。理想の政治家像を考えさせられる作品です。
 
 

主な登場人物

あらすじ

「西郷な、思い切りが早すぎて困る、困る」

伊藤博文にそう語ったのは、西郷隆盛の親友大久保利通でした。この言葉は、隆盛が、征韓問題の紛糾から明治政府を去り、鹿児島に戻った時に発せられたものです。

西郷隆盛は、18歳の時、郡方書役助(こうりかたかきやくたすけ)となり、後に書役となって、この役目を27歳までつとめます。村々を巡回し、農民の年貢を決めて歩くのが役目です。

隆盛の人格形成に大きな影響を与えたのが、郡奉行の迫田利済(さこたとりなり)でした。彼は、役人が贅沢をすると国が亡びるというのが持論で、決して贅沢をしません。藩主から表彰された時も、その褒賞として倒れかかっている庭の松の木を支える丸太棒を望んだだけでした。

隆盛は、迫田利済に心服し、大いに感化されるのでした。

薩摩藩主の島津斉彬が、嘉永7年(1854年)に参勤交代で江戸に出府する際、隆盛を供回りに加えました。斉彬は、隆盛の人柄について無参和尚から常々聞いており、また、隆盛が農政に関する意見書をたびたび提出していたことで、興味を持っていたのです。

そして、江戸に到着して間もなく、隆盛は庭方役となり、江戸藩邸で斉彬と何の手続きもとらずに会えるようになります。斉彬は、隆盛に会うたびに、彼にただならぬ才能があることを知ります。

ペリー来航以降、江戸では様々な問題が持ち上がっていました。幕政改革のために島津斉彬は幕府に意見し、隆盛も斉彬のために奔走します。しかし、斉彬の思い通りにはいかず、大老の井伊直弼によって全てが決定されます。

安政の大獄が原因で流罪となっていた隆盛は藩に呼び戻されますが、再び薩摩藩の実権を握る島津久光の命に背いたため沖永良部島へ流されます。

その後、罪を許されて鹿児島に戻ってきた隆盛は、藩内で重要な立場となり、やがて薩長同盟を締結した後、幕府を倒し明治政府の発足に貢献します。

しかし、明治政府は隆盛が理想としていたものとはまったく違っていました。そして、政府のやり方に不満を持つ若者たちに担がれた隆盛は総勢3万人を引き連れ東京へと向かうのでした。

読後の感想

この作品は250ページほどしかないので、西郷隆盛の人生を描くには、短すぎるように思います。でも、手短にまとめられているので、西郷隆盛の生涯を知るには、ちょうど良い作品となっています。

作中では、池波正太郎さんの政治に対する考え方が随所に出てきます。池波さんは、西郷隆盛と大久保利通を理想の政治家と考えており、この作品が発表された1967年当時には、2人のような理想の政治家はいないと語っています。

また、世の中の金銭万能主義に疑問を投げかけている点も興味深いですね。

西郷隆盛が誠実な政治家として描かれている一方で、大久保利通は謀略を使って目標を達成しようとする印象があります。でも、大久保利通も西郷隆盛と同じように理想の社会を築き上げるために邁進していました。

高橋正風は、大久保利通について、こう語っている。
「大久保は古の大宰相の器量をそなえ、清廉の人であった。死去の後、その財産を調べたところ、負債数千円もあり、それがいずれも世にいう富豪巨商という人たちから借りたのではなく知己朋友の間にかぎられていた。大久保は、実に大権力と大勢力をもっていたにもかかわらず、その処世はこの通りで、残したものは数千の負債のみ。自分は諸葛孔明よりも偉かったと思う」

この作品を読んでいると、理想の政治家とはどんな人なのか、また、理想の社会を築くには、どのようにすべきかといったことを考えさせられます。

 
 
西郷隆盛-池波正太郎
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