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前田利家(上)

前田利家は、織田信長と織田信広との戦いで手柄を立てます。しかし、拾阿弥を斬ったことから信長に勘当されてしまいました。利家は、桶狭間の戦いで手柄を立て織田家に復帰。その後も、戦場で得意の槍を振るい、出世していきます。しかし、上杉との交戦中に織田信長が本能寺で急死するのでした。

主な登場人物

あらすじ

織田信広は、織田信長討滅の兵を動かしました。

織田信長に仕える前田利家と弟の佐脇藤八郎(良之)は、初陣を許され、織田信広の軍勢を迎え討ちます。この戦で、利家兄弟は手柄を立て、信長から脇差を与えられました。

しかし、利家は、信長がかわいがる拾阿弥を斬ったことから織田家を勘当されてしまいます。

尾張を去った利家は、今川の動きを探ります。やがて、今川義元が尾張に侵攻するのは明らか。利家は、その時に手柄を立てて織田家に戻るつもりでいました。

そして、その時がやってきました。利家は今川の武将を討ち取り、その首級を信長に届けますが、信長は無視します。利家はさらに敵の首級をあげ、信長に届けるも勘当は解けませんでした。しかし、後に柴田勝家のとりなしで、利家は織田家に戻ることが許されます。

永禄11年(1568年)。織田信長は、足利義昭を奉じて上洛します。利家は、得意の槍を振るって手柄を立て出世していき、そして、柴田勝家の元で上杉勢と戦いました。

そんな中、京都では本能寺の変が起こるのでした。

読後の感想

前田利家を主人公にした作品です。

若き日の利家は、織田信長に仕え、戦のたびに得意の槍で多くの武将を討ち取りました。

しかし、織田家に仕えていた頃の利家は、羽柴秀吉や柴田勝家と比較すると、あまり目立たない存在でした。利家が活躍し始めるのは、織田信長が本能寺の変で討ち取られて以降といえるでしょう。

信長亡き後、織田家は誰が相続するのか。家督は、信長の血縁者から選ばれましたが、織田政権の後継者となったのは、羽柴秀吉でした。

その秀吉と最後まで戦った織田家の重臣柴田勝家は、賤ヶ岳の戦いで敗れた後、北ノ庄で自害します。上巻ではここまでが描かれています。

利家は、柴田勝家に恩を感じていましたし、秀吉とも親しい関係でした。最終的に利家は、秀吉に味方します。しかし、それは勝家を裏切る形ではありませんでした。

後に利家が、秀吉政権で大大名となれたのは、賤ヶ岳の戦いでの義理の立て方のうまさが関係していたのかもしれません。

前田利家(上)-津本陽
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