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椿と花水木(上)

少年万次郎は、筆之丞たちとともに漁に出ましたが、嵐に遭いました。かろうじて無人島に流れ着いた万次郎たち。食料も飲み水も底をつき、死を覚悟した時、海の向こうに船影を発見しました。アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された万次郎たちは、海の旅を続け、ハナロロにやって来たのでした。

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主な登場人物

あらすじ

天保11年(1840年)。土佐の中ノ浜に泳ぎの上手な少年がいました。

彼の名は万次郎。

万次郎は、貧しい家族を養うため、太平の使用人として、米搗きの仕事をしていました。しかし、太平の人使いの荒さに嫌気を刺した万次郎は太平のもとから逃げ出します。

母の志おは、万次郎に辛い思いをさせていたことを知り号泣。そして、漁師の筆之丞に万次郎を鰹船に乗船させてほしいと頼みます。筆之丞は、快く万次郎を受け入れ、重助、五右衛門、寅右衛門とともに漁に出るのでした。

天保11年正月5日。5人は金比羅丸に乗って沖へと漕ぎ出します。最初は順調だった天候は、次第に嵐となり金比羅丸は遭難。5人は無人島に流れ着きました。

島で5人は、飢えをしのぐため藤九郎(アホウドリ)を獲って食べていましたが、次第に食料も飲み水も不足し、死を覚悟し始めます。

ところが、五右衛門が沖に巨船を発見。5人は必死に手を振り助けを求めます。すると、彼らに気づいた巨船は、島に向かって伝馬船を進め、5人を救助してくれました。

万次郎たちを救助したのは、アメリカのジョン・ハウランド号で、船長は、ウィリアム・エッチ・ホイットフィールドです。ホイットフィールドは、5人を手厚くもてなしました。

ジョン・ハウランド号は捕鯨のために日本近海まで来ていました。5人を無事に日本に送り届けたいホイットフィールド。しかし、鎖国中の日本では、沿岸に外国船を見つけたら砲撃して打ち払っていたことから、5人を日本に帰すことができません。

5人は、ジョン・ハウランド号とともに旅を続けます。その間、万次郎は少しずつ英語を覚えていき、捕鯨の仕事も手伝うようになりました。万次郎の聡明さに気付いたホイットフィールドは、アメリカに連れて行こうと思い始めます。

ハナロロに寄港したジョン・ハウランド号。

ここで5人は船を降ります。ホイットフィールドは島民に5人の面倒を見るように頼みました。そして、万次郎に一緒にアメリカに行きたいかを訊ねます。

すると、万次郎はアメリカに行くことを希望し、4人と分かれて再びジョン・ハウランド号に乗って大海原を旅するのでした。

読後の感想

中浜万次郎(ジョン万次郎)を描いた作品です。

ジョン万次郎の「ジョン」は、ジョン・ハウランド号から名付けられたもので、彼は、アメリカで「ジョン・マン」の愛称で多くの人に親しまれました。

江戸時代後期から幕末にかけて、漁師たちはたびたび遭難し、捕鯨船に救助されていました。この時代は、アメリカの捕鯨船が鯨油を求めて太平洋を行き来しており、万次郎たち以外にも、多くの日本人がアメリカ船のおかげで命を助かっています。

しかし、救助された日本人が、故郷に帰ることは困難でした。なぜなら、日本は鎖国中で、特に江戸時代後期には異国船打払令が出されていたため、外国船が陸に近づくことすらできませんでした。

もしも、江戸幕府が鎖国をしていなければ、万次郎たちはすぐに土佐に戻れたはずです。

しかし、幸か不幸か、幕府の鎖国政策があったことから、万次郎はアメリカで近代文明に触れることができました。聡明だった万次郎は、アメリカの学校でも優秀な成績を修めます。「日本人の自分が、アメリカで生きていくには学問をしなければならない」という気持ちが、万次郎を人一倍努力させたのでしょう。

やがて、万次郎はアメリカで結婚します。しかし、彼の心には故郷に帰りたいという気持ちがありました。

妻とともにアメリカで暮らすべきか、日本に戻るべきか。万次郎は、苦悩したのではないでしょうか。

椿と花水木(上)-津本陽
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