HOME > 作家別 > 津本陽 > 椿と花水木(下)

 

椿と花水木(下)

最愛の妻を失った万次郎は、日本への帰国を決意します。金採掘で稼いだ資金を手にオアホに住む伝蔵らを誘い帰国の途につく万次郎。やがて琉球に上陸した万次郎は、島津斉彬に召し出されます。これを機に万次郎は、日本の近代化のために持てる力を発揮し始めるのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

アメリカで教育を受けた万次郎は、鯨漁のためにフランクリン号に乗船し長き航海に出ます。

その航海を終え、フェアヘブンに戻った万次郎は、愛する妻キャサリンが行方不明となったことを知らされました。最愛の妻を失った万次郎は、アメリカを去る決意をし、日本への帰国資金を稼ぐため、友人テリーとともにカリフォルニアへ金採掘に出かけました。

帰国に必要な資金を稼いだ万次郎は、ともに漂流した伝蔵(筆之丞)らと一緒に帰国するためオアホを訪れます。万次郎に帰国を誘われた伝蔵と五右衛門は、サラボイド号に乗船して帰国することにしましたが、寅右衛門はオアホに残ることを決断しました。

万次郎たちは、サラボイド号で琉球の近くまで送ってもらうと、用意していたボートに乗り換え、琉球への上陸を果たします。

万次郎たちは、琉球で薩摩藩の監視下に置かれましたが、藩主の島津斉彬の命により薩摩に移送されました。西洋の事情に明るい島津斉彬は、万次郎にアメリカの様子を訊ね、彼の答える内容に大いに関心を示しました。

薩摩藩から長崎奉行に身柄を引き渡された万次郎たちは、しばらく長崎にとどめ置かれた後、嘉永5年(1852年)5月に生まれ故郷の土佐に戻ることができました。

万次郎は、母志おとの再会を喜びましたが、それも束の間。浦賀にペリーが来航し、幕府から江戸に赴くよう命じられるのでした。

読後の感想

「椿と花水木」の最終巻です。

アメリカの学校を優秀な成績で卒業した万次郎は、その知識を活かすために鯨漁に出かけます。万次郎の航海術は、アメリカ人よりも優れており、その技術は鯨漁で大いに発揮されました。

万次郎はアメリカで結婚していたので、そのまま現地で一生を終えるはずでした。しかし、妻キャサリンが行方不明となったことで日本に帰ることを決意します。

これが歴史の大きな転換点となることを万次郎は、この時、全く意識していなかったでしょう。

彼の帰国はペリー来航の直前でした。この頃の日本は、オランダ語は理解できても英語で会話をできる人は皆無に等しい状況です。英語を話せる万次郎が、幕閣からいかに重宝されたかは想像に難くありません。彼の能力を早い時期に認めたのは、江川太郎左衛門(坦庵)でした。万次郎は、江川太郎左衛門に世話になりながら、翻訳などの仕事をし、日本の開国に貢献します。

しかし、万次郎は漁民の出ということもあり、多くの武士が彼を毛嫌いしました。それでも、時代は万次郎の能力を必要とします。万次郎は、万延元年(1860年)に咸臨丸に乗ってアメリカへの再上陸を果たし、日米両国の友好のために持てる力を発揮しました。

日本の近代化は、薩摩藩や長州藩によって成し遂げられたと思われがちですが、両藩よりも中浜万次郎の方が貢献度が高いと言えるでしょう。万次郎がいなければ、日本とアメリカの友好関係を築くことは困難だったはずです。

アメリカは日本に開国を迫りましたが、侵略の意図はありませんでした。アメリカは捕鯨のための拠点が太平洋に必要だっただけです。しかし、当時の日本人の多くが、アメリカもヨーロッパ諸国も同じようにしか見えていませんでした。外国人を見れば、なりふり構わず攘夷と叫び攻撃します。薩摩藩も長州藩も同じです。むしろ、両藩が中心となって攘夷運動を展開しており、どちらも近代化に逆行する振る舞いばかりをしていたことになります。

日米両国の友好関係は、漂流する万次郎をジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドが助けたことから始まったと言えます。しかし、アメリカでは2人の友情を忘れていませんでしたが、日本では100年も経つとすっかり忘れさられていました。

やがて、2人の友情を忘れた日本はアメリカと開戦し敗戦を迎えます。

昭和の日本人が2人の友情を覚えていれば両国の開戦は避けられたかもしれません。いや、そもそも、日本人は中浜万次郎の偉大な功績を全く評価していなかったのでしょう。

 
 
椿と花水木(下)-津本陽
取扱店