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新・平家物語(2)

崇徳上皇に接近した藤原頼長は、政権奪取を目論んで源為義を味方につけます。一方、平清盛は源義朝とともに後白河天皇に味方します。両者の戦いは、天皇方の夜討ちで始まりました。上皇方は炎上する白河の旧内裏を捨てて逃げるも、やがて捕らえられ、次々と処罰されていくのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

中央政界への返り咲きを狙う藤原頼長は、崇徳上皇に接近し謀反を企てました。

清盛は、後白河天皇方につくものの、叔父の忠正が崇徳上皇方についたため、身内での戦いとなりました。また、源氏も、源義朝が後白河天皇方、父の為義や弟たちが崇徳上皇方につき、身内で相争う形となります。

清盛の次男の基盛は、崇徳上皇に味方する者たちの入洛を阻止するため宇治に出陣。一方の崇徳上皇方も、源為朝が藤原頼長に夜討ちを献策します。しかし、頼長は、天皇上皇の御国争いであるから、勝負は乾坤の一擲に決せんとし、夜討ちを拒否しました。

ところが、天皇方が夜討ちを仕掛けてきたため、上皇方が混乱のまま戦が始まりました。世にいう保元の乱の始まりです。

上皇方は、加茂河原で善戦しますが、源義朝が白河の旧内裏に火を放ったため一気に崩れました。崇徳上皇は東に逃れようとするものの、藤原頼長は流れ矢に当たって戦死。その後の捜索で、平忠正や源為義らも天皇方に捕らえられ身内によって処刑されました。

保元の乱後も、実権を握った信西は、上皇方に味方した者たちを次々と処刑していきました。崇徳上皇も讃岐に流され、都に帰ることを許されないまま彼の地で崩御します。

信西の独裁政治に不満を持つ藤原信頼らはクーデターを計画します。信頼側には、保元の乱での恩賞に不満を持つ源義朝の姿もありました。

読後の感想

2巻では、源平合戦の始まりとも言える保元の乱が勃発します。

保元の乱は、崇徳上皇が後白河天皇に謀反を起こしたものです。崇徳上皇は、父の鳥羽法皇から疎まれ、即位して間もない時期に退位を迫られています。それでも、崇徳上皇は、鳥羽法皇が危篤となった時に見舞いに行きましたが、最後まで法皇に疎まれ死に目に会うことさえも許されませんでした。

その直後に起こったのが保元の乱です。近衛天皇を呪詛したとして左遷させられた藤原頼長が、政界への復帰を目論んで崇徳上皇に接近し、謀反をすすめたのです。戦いは、天皇方の勝利で終わり、崇徳上皇は逃げるのに疲れ、仁和寺へ向かいます。

しばらく仁和寺に謹慎していた崇徳上皇に流罪が命じられ、讃岐に流されることになりました。崇徳上皇は、讃岐で何度も京都に戻りたいと嘆願しましたが、その願いは受け入れられません。ついに崇徳上皇は、天皇家を呪いながら讃岐で崩御します。

その後、国内で天変地異が多発し、これは崇徳上皇の祟りに違いないと噂されるようになりました。

崇徳上皇は、白河法皇と待賢門院との間に生まれた子と噂され、父の鳥羽法皇から疎まれ、近衛天皇が誕生した時に若くして退位を迫れています。それから、何もすることなく10年以上の歳月が過ぎた時、幼い近衛天皇が崩御します。崇徳上皇は、自分の皇子を次の天皇に即位させ、自らは院政をしこうと考えていましたが、鳥羽法皇が後白河天皇を即位させたため、その願いはかないませんでした。

そんな時、近衛天皇の呪詛事件で左遷させられていた藤原頼長が崇徳上皇に接近し、謀反を起こすことになったのです。

崇徳上皇の人生は、ただただ他人に振り回されるだけで、とてもかわいそうな一生でした。院政や摂関政治の犠牲者とも言えます。

保元の乱後、政治が落ち着くかに思われましたが、信西が上皇方を次々に処刑したことへの反感が増大し、やがて藤原信頼がクーデターを起こし平治の乱が始まります。

 
 
新・平家物語(2)-吉川英治
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