HOME > 作家別 > 吉川英治 > 新・平家物語(4)

 

新・平家物語(4)

平治の乱の後、平家の力が強大になっていきます。清盛は太政大臣となり、時忠は「平家でない者は人に非ず」と言い、栄華を極めていました。しかし、源氏の残党が、鞍馬寺に預けられていた牛若に接近し、水面下では平家打倒の動きが起こっていたのでした。
 
 

主な登場人物

あらすじ

大輪田ノ泊を工事中の清盛は、熊野路の旅に出ました。旅先では、腹違いの弟の忠度と出会い、ともに都に帰りました。

その頃、比叡山と園城寺との間で争いが起こり、都でも強訴が発生し、清盛に掃討の院宣が降り多忙を極めていました。

そんな中で、永万元年(1165年)6月に二条天皇が若くして崩御し、幼い六条天皇が即位します。しかし、後白河上皇は、建春門院との間に生まれた憲仁親王を六条天皇の東宮(皇太子)とし、後に六条天皇を廃帝するのでした。

二条天皇の大喪でも、南都北嶺が争い、警備に当たっていた平家がそれを鎮めましたが、清水寺が炎上してしまいます。

やがて、清盛は内大臣となり、さらに仁安2年(1167年)2月には、武臣として初めて太政大臣に任ぜられました。平家は栄華を極め、義弟の時忠は「平家でない者は人に非ず」と言い、権力が強大になっていきます。

清盛は、邸宅に白拍子の祇王を住まわせたり、孫の維盛の車が藤原基房の車を避けなかったことで、下僕同士の争いがおこったりと、次第に平家のおごりが見られるようになりました。

承安3年(1173年)春に後白河法皇の法住寺殿へ、高尾に一宇の精舎を建立することを要求した文覚が伊豆に島流しになります。また、鞍馬寺に預けられていた牛若(源義経)に源氏の残党の金王丸や鎌田正近らが接近し、水面下で、平家打倒の動きが沸き上がっていくのでした。

読後の感想

平治の乱の後、平家は大きな権力を持ちます。

都では、強訴が発生することもありましたが、庶民の暮らしは平穏なものでした。平家政権になり、以前よりも世の中が落ち着いてきたのです。

しかし、平家の権力が強大になると、それまで政治の中心にいた藤原氏はおもしろくありません。平家が傲慢であったことよりも、人々の嫉妬が、やがて平家を滅亡へと向かわせたのでしょう。

4巻の読みどころは、後半にあります。平家の力が強大になる中、源氏の残党が再起のため、鞍馬寺に預けられていた牛若に接近します。牛若は、父義朝に仕えていた金王丸や鎌田正近らによって、清盛が父の仇であると教えられ、やがて鞍馬寺を抜け出し、金売り吉次とともに藤原秀衡を頼って奥州平泉に旅立ちます。

牛若の母常盤御前は、牛若が平家を討つことを望んではいませんでした。そして、清盛が、牛若の命の恩人であることも言い出せませんでした。そのことを知らず、牛若は、平家打倒のため都を逃れ平泉を目指します。

さて、源義経が登場する多くの作品では、牛若が、奥州に旅立つ前に武蔵坊弁慶と出会う場面を描いています。でも、本作では、この場面は描かれていません。また、牛若が奥州に旅立った後、途中で元服する場面は描かれることが多いですが、その後の旅が描かれることはほとんどありません。

奥州への旅の途中、義経が何をしていたのかが描かれている点が、本作を読んでいて新鮮に感じるところです。

 
 
新・平家物語(4)-吉川英治
取扱店