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伊達政宗(8)

豊臣家が滅び泰平の世が訪れました。しかし、徳川幕府により取り潰される大名が多く、伊達家も安心できる状況ではありません。そんな中、エスパニヤに派遣していた支倉常長が帰国し、政宗は複雑な気持ちになります。母保春院との再会。秀忠から家光への将軍交代。政宗の天下取りの野望は・・・。

主な登場人物

あらすじ

豊臣家が滅び、徳川幕府も2代将軍秀忠の時代になって世の中は戦乱から解放されました。しかし、幕府は、安泰を図るため、福島正則などの有力大名を取り潰していきます。また、浅野家のように移封を命じられる大名もありました。

伊達政宗のように徳川の天下に貢献した大名も例外ではありません。幕府重臣たちが隙あらば取り潰しをと考えていましたが、政宗は彼らよりもしたたかにその地位を保全します。

政宗はまた、領国経営にも力を入れ始めます。政宗が富国策を講じたことで、逸民や散民がなくなり百姓たちが土地に根付くようになりました。

幕府によりキリスト教の禁教が布告されると、政宗も領国の仙台に禁教令を出します。そのような中、元和6年(1620年)にエスパニヤに派遣していた支倉常長が帰国しました。

政宗が徳川と豊臣との争いの間に割って入り、自らの存在を誇示することを目的にエスパニヤの大艦隊を味方に引き入れようとしたのも昔の話。泰平の世が訪れた今、キリスト教の洗礼を受けた支倉常長の帰国は政宗を複雑な気持ちにさせます。

元和8年となり、政宗は最上家に身を寄せていた母の保春院(義姫)と32年ぶりの再会を果たします。その翌年、保春院は亡くなり、徳川の世も2代将軍秀忠から3代将軍家光へと引き継がれたのでした。

読後の感想

伊達政宗の最終巻です。

政宗は、どんな時も天下を取る野望を捨てずにいました。例え徳川の世となっても、隙あらば天下を我がものにと、その隻眼で時代を睨み続けていました。

伊達政宗は、あと10年早く生まれていれば、天下を取っていただろうと言われるほど戦国武将として高い評価を受けています。でも、政宗の才能は、戦国時代よりも泰平の世でこそ活きたのかもしれません。もしも、政宗が10年早く生まれていたら戦乱の世はさらに長く続き、政宗の持つ政治的才能は生涯発揮されなかった可能性があります。

家康、秀忠、家光の3代で徳川幕府は盤石になります。徳川3代を支えたのは徳川家臣団だけではありません。外様大名の伊達政宗の存在もまた徳川幕府の成立に欠かせない存在だったのです。

本作の中盤から登場した柳生宗矩も忘れてはいけません。柳生宗矩は兵法家として知られていますが、本作では徳川家と伊達家とをつなぐ外交官として重要な働きをします。

また、最終巻では支倉常長も帰国します。主君の命により海外渡航し、帰国した時には時代が一変し居場所がなくなった支倉常長。彼を家臣として雇い続ければ、伊達家は幕府に睨まれます。きっと当時の政宗は厳しい決断を下さなければならなかったでしょう。

伊達家が幕末まで存続しえたのは、政宗が外様大名としての生きざまを家臣達に見せていたのが大きかったのかもしれません。どんなに力を持っていても、幕府から危険視されれば取り潰し。政宗が最後に自らの野望を捨て泰平の世の存続を願わなければ、伊達家もどうなっていたかわかりません。

伊達政宗(8)-山岡荘八
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